学び

大人の「学び」を定義する|私たちは学べているだろうか

皆さんは大人になってから、「学び」に時間を投資できていますか?世の中ではリカレント教育(生涯学習)という言葉をよく目にするようになりましたが、「学び」というキーワードを見ると、読書や自己啓発セミナー、資格取得とかをイメージするかもしれません。

でも、実は「学び」とはそれらに限らず、もっと広義なものではないかな?とも思います。今回は、大人の「学び」についての定義を考えてみたいと思います。

現代の学びはインプット過多?!

大人の「学び」と言っても、やり方は1つじゃないし、皆さんが今やっている「ソレ」も学びだと言っていいと思います。

「学び」の定義を考えてみる

ちょっと考えてみましょう。

「学ぶ」ってどういうことでしょうか?何をして、その結果どうなると、「学んでいる」と言えるでしょうか?

新しい知識を得ることは「学び」だと思います

まさにそうですね。

子供は小学校に入って、読み書き計算を習います。「自分の知らないことを知る」というのは、義務教育課程の中心だと感じます。

みんなが共通言語・共通認識として同じ知識を持っていると、社会活動がスムーズになるのは間違いないですよね?!

一方で、「新しい知識を得る」=「何らかの情報を記憶すること」と考えると、、私たち大人は、新しく出会った人の名前を覚えることすら苦労しているので(え?それはアラフォーの私だけ?)、知識を何かから一度インプットしただけでは、なかなか記憶定着しません

記憶定着しなければ、日常生活の中でアウトプットできません。アウトプットできないことは、結局、自分の生活のなかで役に立つことはないですよね。

あとから思い出して、「あー!そうそう、そういえばそれ、あったよね。知ってたけど思い出せなかった〜」の連続で、悔しい思いをするデメリットしかない?!(心当たりがよくあって自分で書いていて耳が痛い)

つまり、アウトプットできないインプットにはあまり価値がない!ということかもしれません。

現代は情報に溢れているのでインプットしにくい

私が高校生の頃は、電子書籍はドラえもんの道具のようなSFな存在で(笑)、「いつかそんな未来が絶対くる!!」と夢を見ていたものですが、そんな世界がマジできてますよね。

今や、電子書籍は当たり前だし、スマホやタブレットにワンピース全巻を入れて持ち歩くこともできる!!読みたい本は1クリックで買えて、その場で読み始めることもできます。

自分が能動的に取りに行った情報だけでなく、受動的に受け取る情報量もめちゃめちゃ増えているので、私たちは常に大量の情報のシャワー(いやもう大雨でしょ)を浴びている状態にあるそうです。

全世界のIPトラフィック量の変化

  • 2008年:1ペタバイト
  • 2022年:44万ペタバイト

(ペタバイト=100万ギガバイト)

↑このくらい変わってるらしいです!(シスコシステムズ調べ)

IPトラフィック量がこんだけ増えているということは、1日に私たちが受け取る情報量もすごく増えていることは間違いなさそうですね。

たくさん知識が得られていいじゃないですか

うん。ほんとそうですね〜。

以前よりも、1つの情報を得るためのコストもめっちゃ下がっています。わからないことは、googleが世界中のデータを検索して数秒以内に教えてくれます。

しかし一方で、人の脳みその性能はこの1万年間ほとんど進化してないそうなので、人が1日に受け取る情報量が増えれば増えるほど、受け取った情報は未処理で流されていくことになります。

私たちは、以前よりも格段に「右から左へ受け流すこと」をトレーニングしているのです!!(無意識のうちに)

私たちを取り巻く環境は、インプットが得やすい状況でも、脳みその性能はインプットが増えれば増えるほど処理できなくなり、1インプットあたりの価値は相対的に下がっていくと思います。

あれ?何だっけ。知ってるはずなんだけど思い出せん・・・

ってなってしまいやすい世界に、私たちは生きているのです!(※物忘れを肯定!笑)

何にも関わらず!!

私たちは「学び」というキーワードを見ると、すぐに「インプット系の行動」をイメージしがちじゃないですか?「学び」=「知識を得る」という定義を持ってしまっているからなんだと思います。

知識が価値にならない時代がきている

私たちは自分の力で覚えきれなくなってくると、 外部記憶装置に頼ろうとします。

私はEvernoteの有料プランを使っておりまして、読んだ本や学んだことはすぐにEvernoteにメモを保存して、保存したことでホッとしております。

が・・・保存しただけで、それ以来一度も呼び出されていないメモがEvernoteの中に溜まっていることに気づきました。

2度と読まないメモを作ることって、意味あるのかな・・。時間の無駄ってことはない?

ちょっとモヤモヤしますが、一旦それは置いておいたとして!

そんな感じで、自分が一瞬でも知った(知っている)情報を記憶しておくことは外部デバイス化されていくし、そもそもGoogleに聞けば一発で答えが返ってくることも多いので(しかも最新情報)、知識を記憶すること自体は価値にならない時代がもうやってきていると感じます。

本を読んで「へぇー、そうなんだ」と気づきを得るだけでは、「その時間はもったいなかった」となってしまう可能性も?1ヶ月後には、脳の記憶倉庫の中で、自力で思い出すことが不可能な状態で保管されていると思います。(いや、無断で破棄されているかも?笑)

今の時代に合った「学び」・「学び方」とは

では、この現代の高度情報化社会の中で、私たちはどのような「学び」・「学び方」をしたら、その学びが自分にとって価値のあるものになるでしょうか?

ちょっとこの質問を考えてみてください。

学んだこと(=インプットした知識としましょう)が、自分にとって価値を発揮する瞬間ってどんな場面でしょう?

人によって「自分にとっての価値」はそれぞれでいいのですが、私の回答はこんな感じです。

「実際の私の生活・仕事の中でそれが役に立った瞬間」かなぁ〜?

そして、↑の定義に合うインプットに集中していけば、1インプットあたりの自分にとっての価値は高まるはずです!!

もうちょっとブレイクダウンしてみると、

「知識が役に立つ瞬間」というのは、新しく仕入れた知識が何らかの形で私の行動(アウトプット)に変化を起こしている瞬間ということでしょうか。

つまり、アウトプットに影響を与えるインプットに集中すればいい!という結論に、私はたどり着きました。

あ〜スッキリ!この定義ができてから、「学べている感」が格段に増しました!

この考えにたどり着いて以来、

  • 行動に繋がりそうなものという観点で優先順位を持ってインプットをする
  • インプットしたことはなる早で何らかのアウトプットをする(このblogもその1つ)

ということを、日々心がけるようにしております!

自分の「学びの定義」を持とう

私がたどり着いた回答が、ただ1つの正解なわけじゃありません。

人にとって「学ぶことから得たい価値」は異なりますから、自分なりの「学びの定義」を持つことが良いんじゃないかと思います!

これは、「自分のやっている行動が、自分にとって意味のあるものになっているかどうか」のチェックにもなるはずです!

変化のスピードがどんどん加速していく社会に生きていく私たちですので、どんな職業の人であれ、専業主婦・主夫であっても、自分の中で「学び」というキーワードは常にアンテナを立てておかれると良いと思います。(^^)

 

ABOUT ME
森田 亜矢子
子育てマーケター/マザーズティーチャー/TCS認定コーチ/企画ディレクター/ラーニングファシリテーター/2児のママ
\子育てを通じて自分をアップデート/

ぱぱままSTARTUPは、子育てを通じてパパ・ママの自己変革&自己成長をサポートするメディアです。

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