突然ですが、質問です。
人はなぜ「学ぶ」のでしょうか?
→ 「XXX のために学ぶんです」
これって正解があるわけじゃないんです。
人それぞれの定義で良いのですが、これはシンプルだけどすっごく重要な問いだと思います!!
こんくらい、ズバッと言い切れる回答が、自分の中に作れていたら、気持ち良いでしょうねぇ〜!!!(笑)
私もこれくらいシンプルな鉄板定義がほしいっ!!
その鉄板定義を見つけるためにも、「人はなぜ学ぶのか」「学ぶ必要があるのか?ないのか?」について考えてみました。
「学ぶ」とはつまり何か?を定義する
昨今、
なんて言われますが、
大人のみなさん、今、何か学べてますか?
ドキッとされた方、ご安心ください。
↓ ↓ ↓ ↓
海外から「世界でもっとも学ばない大人=日本人」と言われていますから、他にもいっぱいいます。(笑)
私自身もそうでして!!
私は、コンサル時代→リクルート時代を通じて、ずっと「私は学べてない」と思っていました。
なぜなら!!
学ぶ
=大学院とか英会話スクールなどのなんらかの教育機関でなんらかのカリキュラムを受講すること
だと無意識に思っていたからです。
そして、小〜大学を通じて、一貫して、「教室での学びはつまらない」という経験もしてきましたもので・・・。(^^;
やった方が良いとわかっていても、つまらないものに対しては腰が重くなる。(それが人間)
の原理で、全くアクションを起こせていませんでした。
うーん。。
無意識の底で、「学ぶことは退屈でつまらない」という価値観を持っているのは、なぜなんだろうか?
学校教育というシステムに問題がある可能性あり
先日、アクティブ・ラーナー育成で大変有名な小金井市立前原小学校の蓑手先生に教育新聞の取材でいろいろお話を伺っている中で、「ほほぉ〜!!!」と思ったことがあります。
↓「つまり・・」の先生のお話を可視化するとこういうことです!!

確かに〜!!!
こーゆーシーンって、1ミリもイメージできませんね。(^^;
逆は簡単にイメージできますけどもね。
私自身、「学校」というものに対する思い出には、楽しいことがたくさんあるのですが、「学校での勉強」というキーワードで思い出すのは・・・
- 退屈でつまんなすぎて、ひたすら教科書にペラペラ漫画を書いていたこと(最終的に超大作が出来上がったんですけど。笑)
- 県庁所在地を覚えさせられたのがとにかく苦痛だったこと。(津と大津のひっかけ問題みたいなやつとか)その時、小学校の先生が、「県庁所在地はねぇ〜!!一度覚えたら一生忘れないのよ!!将来必要になる知識だから絶対覚えなさい!!」と言ってたことをよく覚えているが、肝心の県庁所在地名の方はテストが終わったらすぐに忘れて、今現在(42才時点)でもわからない。笑 →でもその知識が必要な時はググればいいだけなので、あの時のあの苦痛な時間なんだったんだ?笑笑
- 声が小さい子が教科書を読まされていたとき、先生が「聞こえないわねぇー!もっと大きなシャキッとした声を出しなさい!!」と言っていて、子供の私からみても「いや〜、シャキッとっていうキャラじゃない子にそんなこと強いるのはかわいそう。」と思ったこと
- 毎年、8/31がとにかく地獄だったこと(なぜなら夏休みの宿題を本当に全くやってなかったから。笑 → 一番大変だったのは、絵日記の「天気欄」。過去新聞の天気予報欄を調べながら埋めていた)
こう振り返ってみると、、、小学生の頃のあの先生・・・ちょっと。。アレですねぇ。アレ。(苦笑)
たまたまだと思います。その先生が、たまたま。(フォロー)
遊ぶように楽しく学ぶことは無理なのか?
一方で、「学校の楽しかった思い出」の方では、
- simpleドロケーに飽きて、新ルールを加えた「オリジナルドロケー」をみんなで考えていったこと(それがドロケーのローカルルールになっていくのですね。ケイドロと呼ぶ地域もあるそうですが、私の地元はドロケーでした)
↑ドロケーだけじゃなくて、あらゆる「遊び」を、慣れてきてマンネリになってきたときに、「もうちょっと面白くしていこう」と、進化させていくところが一番楽しかったです〜!!(私は)
振り返っていて気づいたのですが、
楽しいことは、自分の内側から沸いている好奇心の先にある
=自分の「楽しい」の中には、必ず「好奇心」の成分が入ってるのではないだろうか?
と感じます。
「勉強がたのしぃ〜!!!」と言ってる人たち。それって、その勉強している内容が、自分の好奇心の方向性と一致しているからですよね。
私が今、教育関係の仕事を複業の一つとしてやっていて、指導要領などを勉強するのがすごく楽しいのも、「自分の子ども」という存在をきっかけに、自分自身の中で「教育・学び」に対する興味関心が高まっているからだと思います。
学びのあり方をアップデートせよ!!
さてさて。
では、「楽しい」と「学ぶ」はトレードオフの関係性なのか?
「子供時代」を題材に、ちょっとまた可視化してみました。↓↓↓

人生、「たのしぃ〜!!!」ことだけではありません。
楽しくないこと、辛いこと、きついこともあるでしょう。(今現在の私にも当然あります)
しかし!!!
変化の速度がより一層速くなっている世の中で、
「これを覚えれば大人になってからも困らない!」と言える知識なんてないんじゃないかと思うんです。(私の例の「県庁所在地」のように)
「OKグーグルが、即座に世界中のデータを検索して最新情報を返してくれる現在」において、知識を持っていることに価値は無くなっている!わけです。
ですよね?ですよね?
だから、「学びのあり方」もアップデートしていかないと。
「遊ぶように楽しく学ぶ」とは、好奇心の成分がしっかりと入った学びではないだろうか
どんな遊び方が楽しいと感じるかは人それぞれですから、「遊ぶように楽しく学ぶ方法」も人それぞれになるかと思います。
この方法を見つけていくことが、私たち大人にとっても本当に重要だと思います。
そして。
学校教育というブラックボックスの出口で、「勉強嫌いの子供達」がアウトプットされないように、学校教育のあり方も再構築していってもらいたいです。
ICTを使うかどうか以前の問題ですねっ、これわ!!!
ちなみに、私は「遊ぶように学ぶ」方法は見つかっておりまして、こちらです。
「遊ぶように楽しく学びながら働いてる」という・・これが天職ってことですよね!

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